2012年11月19日月曜日

スティーブンス『獄中記』4

  (Alexander Hamilton Stephens 1812-1883)

5月14日、クローフォードビル
今日は思い出深い日だ。母の命日なのだ。親族一同に看取られながら、母は静かに逝った。父はその前年の1826年に死んでいた。今でも心に深く残る思い出だ。
午前11時半に、列車はクローフォードビルに着いた。駅にはたくさんの群衆が詰めかけていて、その中には旧知の顔もあった。日曜日だったので、街の教会に立ち寄ることを許された。型どおりの礼拝を済ませたらすぐに去らねばならなかったが、街の人々は次々に私に握手を求めてくる。涙がこぼれそうだった。教会には私の親族や奴隷たちもはるばる駆けつけてくれていた。しかし残念なことに、妹夫婦や一部の奴隷たちの姿はなかった。そして兄弟のジョンは病に伏しているという、とても悲しい知らせも受け取った。それからケネディー大尉と、特に許可をもらった2人とで遅い朝食をとった。
友人のジョセフ・メイヤー氏の力も借りて、すぐにも訪れる出発のため、あらためて荷造りをした。とりあえずの着替えに、ベッドシーツ、そして敷物の提供を受けた。奴隷のヘンリーとアンソニーが、それらを手早くまとめてくれた。万事があまりにも滞りなく進んだので、まだ家にいるような錯覚を受けたほどだ。
それから親族たちと、今後の家のことについていくらか打ち合わせをした。あまりにいろいろなことで急かされ、混乱していた中ではあったが、私の奴隷たちはみな優秀なので、この辺りのことについて私は特に憂慮はしていなかった。しかしこの日、奴隷たちは一様に私との別れに泣かんばかりだった。私自身、あまりに深い悲しみの中にいた。
駅の群集は全然減らない。白人、黒人を問わず、古い友人たちが次々に訪れてくる。可能な限り、そうした人々と握手をし、別れを惜しんだ。今日のことを、私は生涯忘れまい。
私はケネディー大尉に、せめて列車が出発するまで、この友人たちと十分に話ができるよう、すぐそばでの監視をやめてくれないかと頼んだ。彼はそれを受け入れてくれた。
(翻訳 正会員 小川寛大)

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