ガン・マニア向け雑誌は今の日本でも発行されており、それらのほとんどは世界の軍や警察の姿を追う一種のミリタリー雑誌ですが、この『拳銃ファン』はそれらとは一風異なります。クイック・ドロー(早撃ち)の技術解説が載っていたり、アメリカ・インディアンの歴史を紐解く連載があったりと、その全体からは「西部劇」の香りが漂ってくるのです。南北戦争特集のトップを飾る「銃器 南北戦争史」という記事も、「西部の銃器」という連載の2回目であると記されています。
1962年といえば、絶頂期ではないにせよ、西部劇が非常な人気を博した時代です。西部劇の伝説的スター、ジョン・ウェインが『リバティ・バランスを射った男』で老いてなお十分な貫禄を見せつけ、「西部劇」という言葉の体現者といっても過言でない映画監督、ジョン・フォードが、19世紀後半の西部を描き切った大河映画『西部開拓史』を世に問うた年です。
この『拳銃ファン』を見るに、どうもそうした時代にあった「銃砲趣味」とは、西部劇人気と支えあって存在したものらしく、それゆえの「南北戦争特集」であったのだろうと推察するところです。
『拳銃ファン』はあくまで銃器雑誌で歴史雑誌ではなく、ためにその視点は実に新鮮です。南北戦争で用いられた銃器の種類をマニアックに考察し、戦争中にあった銃器の進化や、サミュエル・コルトら著名な銃器職人の動向についても詳しく解説してあって、目からウロコの面も少なくありません。21世紀の今、西部劇などというものは実に古臭い映画ジャンルだと思われているわけですが、それが支えていた芳醇な「趣味のフィールド」がかつて存在し、そして今ではそれらをほとんど目にすることが出来ないことをについて、南北戦争ファンの1人として、ページを繰りながらなにやら悲しくなってくるくらいです。
そして西部劇といえば銃とともに馬です。この特集には「南北戦争騎兵隊戦記」という記事があり、ジェブ・スチュアートやシェリダン、カスターといった著名な騎兵隊長はもちろん、フォレストやモズビーのような騎兵ギャング、またキルパトリックやジェームズ・ウィルソンといった、知る人ぞ知る騎兵将校についてまで詳細な紹介記事が書かれていてためになります。
シェナンドー渓谷での破壊作戦を指してか、「地獄将軍シェリダン」などと紹介されているところなどは、「西部劇の香り」が感ぜられて面白いところです。
この雑誌でさらに特筆すべきところは、南北戦争の開戦原因を一貫して「奴隷解放のため」だとしているところです。確かに、この時代ではまだ「南北戦争は奴隷解放のための聖戦であった」とする史観が、アメリカにおいてさえ主流でした。現在では南北の経済構造の差異や、州の権限を巡る合衆国憲法解釈のあり方などが、奴隷制問題と複雑に絡み合って起きたとされる声が圧倒的多数です。ゆえにここまで清々しく「奴隷解放のため起きた」と言い切る記事群には、逆に何か新鮮なものを感じれしまうほどです。
西部劇がその後廃れたのは、インディアンに対する差別的的描写への批判や、ベトナム戦争に敗れたアメリカの映画界が、ジョン・ウェイン流の「強く正しいアメリカ」 を描くのに躊躇するようになったことなどが主要な原因として挙げられます。なるほど、それらはすべて根拠のある意見です。南北戦争を「奴隷解放戦争」とみなす史観も含めて、今そうした「ジョン・ウェイン流」に基づいて映画や雑誌をつくることはほとんど不可能と言っていいでしょう。しかし、そうしたある意味での乱暴な「強く正しいアメリカ」を躊躇なく表現できた時代だからこそつくりえた、「面白い映画・雑誌」もまたあったのです。
真実、正義、権利などというものは、政治的、社会的状況によっていくらでも変わる。少なくとも、真実については揺るぎがあってはいけないはずなのだが、これが人間の弱さだ。とは、アメリカ南部連合国のアレクサンダー・スティーブンス副大統領が残した言葉です。 現在の西部劇観、南北戦争観も、また不変ではないでしょう。しかしこの時代に生きた南北戦争ファンとして、われわれもまた、「この時代だからつくれた面白い南北戦争モノ」を支え、また可能であればつくっていきたいものだと感じた次第です。
※本雑誌は6月2日に行われる本会総会に持参したいと思っております。ご関心のある方は直接お手にとってご講評ください。
正会員・小川 寛大
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