現在、本邦の劇場でスピルバーグ監督の映画『リンカーン』が絶賛公開中です。南北戦争150周年期間の中で発表された、歴史に残るべき名作ですが、日本の観客の多くにとっては歴史的な解説がなさすぎ、ストーリーや登場人物の背景がよく分からず、映画全体の雰囲気をつかみにくいきらいがあるのではないかとも心配される作品です。
そこで本作を猛プッシュする立場として、日本の一般的観客の皆さんを対象に想定した、主要登場人物たちの簡単なプロフィール集をつくってみました。映画鑑賞前の予習に活用していただければ幸いです。なお、本作の歴史的背景については、本会事務局長が自身のtwitterで長々とつぶやいたものを、同じtwitterユーザーの「ぴろき@AmericanCivilWar」さん(https://twitter.com/piroki_wod)が以下のようにまとめてくれています。あわせてご参考になれば幸いです。
http://togetter.com/li/495761
映画『リンカーン』、主要登場人物プロフィール一覧
(リンカーンとその家族)
エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln, 1809-1865)
演:ダニエル・デイ=ルイス
正直者エイブ(Honest Abe)、父なるエイブラハム(Father Abraham)、偉大なる解放者(the Great Emancipator)。人類史の太陽にして、最も偉大なアメリカ大統領。
ケンタッキー州の貧農の家に生まれ、さまざまな職業に従事しながら独学で弁護士の資格を取得。長じて移住したイリノイ州で名望家として頭角を現し、1834年に州議会議員。1846年に共和党の前身・ホイッグ党から立候補して合衆国下院議員となる。当時のポーク大統領の推進した米墨戦争に反対し、下院議員は1期務めるのみで再びイリノイの弁護士に戻る。しかし当時すでにアメリカを代表する名演説家として知られており、奴隷制をめぐって生じた北部、南部の対立にともなって開かれていたさまざまな演説会に、共和党、つまり奴隷制反対派の論客として登壇。共和党にリンカーンありの名声を獲得していく。
リンカーンは奴隷制度に明確に反対していたが、幼少期を奴隷州ケンタッキーで過ごしたことや、若き日に南部で仕事をしていた経験などから、奴隷制は善悪を越えて南部の社会基盤になっていることも熟知していた。そのため、南部側の都合も考えず「奴隷制即時廃止」を訴える共和党急進派とは折り合いが悪かった。しかし1860年の大統領選挙ではその姿勢が幸いし、あからさまに南部の民主党勢力と正面衝突する事態を恐れた共和党多数派によって、一種まつりあげられるような形で出馬し当選。16代アメリカ合衆国大統領に就任する。共和党議員団らは当初、そのように選出された経緯や、貧しい出自、また学歴がないことなどを理由にリンカーンを馬鹿にする者がほとんどだったが、その実力と人柄で次々と周囲を取り込んでいく。
南北戦争開戦後は、高級軍人たちも当初リンカーンを馬鹿にしていたため、軍が大統領命令を露骨に無視するなどの事態が発生して戦争指導に支障をきたすものの、自身に忠実な軍司令官グラント将軍を得てからは戦争を有利に進め、南部奴隷州の勢力を打ち倒した。
リンカーンは貧しい出自からはい上がってきた者として、公平で親しみやすい人柄の、平等博愛主義者だった。しかし貧困からはい上がってきた者であるゆえに、夢想的な観念論に踊らされることはなく、常にリアリストを貫いた。彼が奴隷制に反対しながらも、共和党急進派と最後まで距離を置いたのはそのためである。リンカーンの周囲にいた親しい知人たちは、最初リンカーンの出自などを馬鹿にしながらも、最後は無類の「リンカーン・ファン」になる者がほとんどだった。しかし実際に近しく付き合わなかった同時代人の中には、最後までリンカーンを馬鹿にし、軽蔑する傾向があったのも事実である。リンカーンを暗殺したジョン・ブースもまた、暗殺事件を起こした動機として「リンカーンの身分が卑しいこと」を挙げていた。
メアリー・トッド・リンカーン(Mary Todd Lincoln, 1818-1882)
演:サリー・フィールド
人類史を代表する悪妻、リンカーン大統領の妻。
ケンタッキー州の富裕階級に生まれる。生家は奴隷所有者でもあった。派手好きで野心家、高圧的と、夫であるリンカーンとはほとんど真反対の性格だった。リンカーンとの間には4人の男児があったが、1862年に三男のウィリーが病死すると精神を病み、少しでも気に入らないことがあると家族やホワイトハウスのスタッフに怒鳴り散らすなど、ますます扱いにくい人物となっていく。1865年のリンカーン暗殺、また1871年の四男タッドの死などにより、その精神疾患はさらに重いものとなり、晩年は鬱病状態だった。
多くの歴史家に「リンカーンの人生をむしばんだ悪妻」と批判される彼女だが、それでも彼女がその野心で夫を後押しし、また生まれ持った教養で支えなければ、リンカーンが大統領まで上り詰められたかどうかは疑問だとする声もある。
ロバート・トッド・リンカーン(Robert Todd Lincoln, 1843-1926)
演:ジョゼフ・ゴードン=レヴィット
エイブラハム・リンカーンの長男。
ロバートの青少年期、父リンカーンはイリノイ州の巡回裁判所判事をしていて、日々イリノイの僻地へ馬車を走らせ、住民間紛争の解決などにたずさわっていた。よって、この父子の間は必然的に疎遠となり、絆もそう深いものではなかったと伝えられている。ただリンカーンはロバートの才能を高く買っていたようで、「彼はいずれ、私をも越える政治家になる」と語っていた。ロバートは父と同じ法曹家になるためハーバード大学に進学。ただ同時期に勃発した南北戦争に従軍するため大学は中退している。軍では北軍の総司令官グラント将軍の副官となり、戦場での戦闘経験はほぼない。戦後はシカゴに移り住み、シカゴ大学で学んで弁護士資格を取得。弁護士業を営んでいたが、1881~85年まで、ガーフィールド、アーサー両大統領の政権下で陸軍長官を務めた。1889~1893年まで駐英公使。
タッド・リンカーン(Thomas "Tad" Lincoln, 1853-1871)
演:ガリバー・マクグラス
リンカーンの四男。ホワイトハウスの王子。
父リンカーンの大統領就任に伴ってホワイトハウスに引っ越したときのタッドは、まだ弱冠8歳だった。3つ歳上の兄ウィリーとホワイトハウスを遊び場のように暴れ周り、周囲を困らせていたタッド。しかし1862年、ウィリーとタッドはチフスにかかる。ウィリーはそのまま死去。タッドは奇跡的に回復する。その後、リンカーンとメアリーの両親は、タッドを溺愛するようになり、ホワイトハウスでの無作法もまったく叱らなくなった。父親の暗殺後、母親とともにシカゴへ移住。しかし1871年に結核で死去。その死は母メアリーの不安定だった精神状態をさらに追い込んでいく。
(ホワイトハウスの閣僚たち)
ウィリアム・シーワード(William Henry Seward, 1801-1872)
演:デビッド・ストラザーン
高貴なる法(Higher Law)、アメリカ合衆国国務長官。
ニューヨーク州出身で同州知事および同州選出上院議員を経験する。共和党員にして過激な奴隷解放論者で、「奴隷制は憲法で許可されているだと? この世には憲法より高貴な法(Higher Law)が存在し、それが奴隷制を禁じているのだ」と言い放ち、「高貴なる法」の仇名で呼ばれるようになる。優秀な法律家にして行政マンであったが、自分の才能を過信し過ぎ、しばしば高慢で人を馬鹿にする態度を取ったため敵が多かった。1860年の大統領選に出馬する意欲を燃やしていたが、そうした性格も災いし、完全に馬鹿にして下に見ていた「田舎弁護士」のリンカーンに大統領の座を譲ることになる。
リンカーン政権では重要ポストである国務長官に就任。当初はリンカーンを傀儡にして、自分が実質的な大統領として振舞おうと画策するが、やがてリンカーンの高潔な人柄に打たれ、彼の忠実な女房役として政権を支える。ただしその他の人々に対する高慢さは治らず、南北戦争開戦当初、南部連合に融和的な態度を取っていたイギリスに怒って独断で宣戦布告をしようとしたり、戦争の中で拡充する合衆国陸軍の力を使ってカナダ侵攻を企てるなど、超タカ派的外交政策を志向しつづける。リンカーンはその尻拭いに奔走してまわることになる。
リンカーン暗殺事件発生時は、彼も暴漢に襲われて重傷を負う。何とか一命は取りとめ、後継のアンドリュー・ジョンソン政権でも国務長官に。同政権下ではロシアからアラスカを購入し、ドミニカやパナマの侵略を考えるなど、引き続き膨張的外交政策を取り続けた。
エドウィン・スタントン(Edwin McMasters Stanton, 1814-1869)
演:ブルース・マクギル
雷鳴の軍神(Thunder forth, God of War)、アメリカ合衆国陸軍長官。
オハイオ州出身の弁護士。非常に優秀な法曹家として知られており、アメリカの司法の歴史において初めて、「依頼人たる被告に精神異常があることをもってその罪を無罪とする」内容の勝訴判決を勝ち取った弁護士。
奴隷制度には反対の立場だったが、所属していた政党は奴隷制および南部奴隷州にに融和的な民主党だった。南北戦争勃発直前の1860年には、民主党所属のブキャナン大統領の下で司法長官に任命されている。
共和党のリンカーン政権には当初批判的だったが、その優秀さを買われて陸軍長官キャメロンの法律顧問就任を要請される。スタントンはこれを「国難に当たって党派を超えて協力する」として承諾。南北戦争開戦前まで非常に小規模で、何の力も持っていなかった陸軍省の組織整備に大活躍する。リンカーンのことは粗野な田舎者として嫌っており、「リンカーンは本物のゴリラだ。イリノイ州に行けばすぐに見られるものを、なぜ人はわざわざアフリカまで探しに行くのか」などといって馬鹿にしていた。しかしリンカーンの側で仕事をするうち、そ高潔な人柄に打たれて彼の忠実な右腕に。直属上司のキャメロンが汚職を追及されて陸軍長官を辞した後は、自ら陸軍長官に就任。「リンカーンの軍神」とまで呼ばれる活躍をする。
リンカーン暗殺事件直後から、残された閣僚を統括して犯人逮捕に尽力。本当に犯人かも怪しい民間人たちを、あらかじめ筋書きを用意した茶番の軍法会議で裁いて絞首刑台に送った。その様子はロバート・レッドフォード監督の映画『声をかくす人』に詳しい。その後も長く、リンカーンの名を思い出しては男泣きに泣いたという。
ウィリアム・ビルボ(William N. Bilbo, 1815-1867)
演:ジェームズ・スペイダー
ロビイスト。
南部奴隷州であるテネシー出身の政治活動家。1864年まで民主党寄りの活動家として南部で生計を立てていたが、突然北部へ移住。当初南部のスパイと疑われて投獄されていたが、シーワード国務長官にその政治活動家としての経歴や、南部および民主党に顔がきく存在として見込まれ、恩赦で出獄。「シーワード・ロビー」と呼ばれる、共和党の政界工作チームの一員として活動した。
(合衆国議会の政治家たち)
タデウス・スティーブンス(Thaddeus Stevens, 1792-1868)
演:トミー・リー・ジョーンズ
アメリカのロベスピエール、豚よりもやっかいな男、共和党下院議員。
バーモント州出身。後にペンシルバニア州へ移って弁護士となり、反フリーメイソンや無料公教育推進などの社会運動に没入。そうした流れで、アメリカ史の中でもかなり早い段階から黒人差別反対、奴隷制撤廃の運動家として活躍していく。1849年から下院議員。反奴隷制を綱領の1つとする共和党を1854年に立ち上げた、創立メンバーの1人である。弁舌の冴え、頭の回転の速さはアメリカ随一とうたわれ、ライバルたちは賞賛の意を込めて「豚よりもやっかいな男」と呼んだ。スティーブンスめざした「白人・黒人の完全平等社会」は、同僚の共和党員たちからもあまり理解されなかった、当時としては急進的な意見だった。彼はそんな中で、自分の理想を貫くために他のすべてを犠牲にし、生涯結婚せず、身なりなどにもまったく気を遣わなかった。そういう生活を続けながら政敵と過激な討論に明け暮れる彼の姿を見て、当時フランスの新聞のアメリカ特派員としてワシントンにいた後のフランス首相、ジョルジュ・クレマンソーは、スティーブンスを「アメリカのロベスピエール」と呼んだ。
南北戦争が始まるや、彼は南部奴隷州の存在が排除された議会において、奴隷制の支える南部諸州の完全壊滅のため精力的な活動を始めるが、それはやはり当時としては、性急に過ぎて多くの賛同者を集めることはできなかった。自身から見れば「妥協派」でしかないリンカーンが、アメリカ最大の国難を前に奮闘する姿を見て、スティーブンスは態度を軟化させる。「われわれは天使の間ではなく、人間の間で生きている」とし、あえて妥協的な共和党多数派の諸法案に賛成票を入れ始めるのである。ただしリンカーン暗殺後に政権を引き継いだアンドリュー・ジョンソン大統領の、あまりに親南部的な政策には激怒しており、何度も大統領弾劾に向けて動いている。しかし1868年、現職議員のまま死去。遺体は「生前の意志をはっきり示すため」、当時のアメリカでは非常に少なかった、白人、黒人の共同墓地に埋葬された。
ジェームズ・アシュレー(James Mitchell Ashley, 1824-1896)
演:デビッド・コスタビル
憲法修正13条の提出者、共和党下院議員。
ペンシルバニア州出身。一族にも政治家がいるなど名族の出だったが、彼は船員や新聞記者などさまざまな仕事を経験しながら、移り住んだオハイオ州で独自の地盤を形成し、下院議員に当選した。新聞記者をする中で奴隷解放思想に目覚め、1859年に奴隷解放のための武装蜂起を企てたジョン・ブラウンの支持者でもあった。合衆国憲法の規定として奴隷制を禁止すべく、南北戦争終戦直前の下院で憲法修正13条の可決に中心人物として奔走、憲法改正を実現させる。南北戦争終結後は下院選挙に敗れ、モナタナ準州の知事となった。
ジョージ・ペンドルトン(George Hunt Pendleton, 1825-1889)
演:ピーター・マクロビー
紳士のジョージ(Gentleman George)、民主党下院議員。
オハイオ州出身。父親のナサニエルも下院議員を務めた名門。長じてドイツのハイデルベルク大学に留学して法学を収めた一級のインテリだった。1857年に民主党から出馬して下院議員初当選。ペンドルトンは同じく民主党に所属した7代大統領、アンドリュー・ジャクソンの提唱した「ジャクソニアン・デモクラシー(ジャクソン流民主主義)」の信奉者という意味で、民主党精神の体現者たろうとした人物だった。その柔らかな物腰や高い教養に触れた周囲の人々は、彼を「紳士のジョージ」と呼んだ。南北戦争開戦後は、その凄惨な戦況に心を痛め、一刻も早い南北の停戦を主張。1864年の大統領選では、リンカーンと馬が合わずに解任された元北軍指令、マクレラン将軍を大統領候補にかつぎ、自身を副大統領候補としてリンカーンと激突。敗れはしたが議会を代表するコッパーヘッズ(北部人でありながら南部を応援する反リンカーン派)として認知される。
南北戦争後の下院議員選挙には落選するが、1879年にオハイオ州選出の上院議員として復帰。1883年、政治家の汚職やコネ人事の温床として非常に評判の悪いものにっていた、公務員の猟官制度を改革する法案を議会に提出して可決させ、その法は「ペンドルトン法」として合衆国法制史に不朽の名を残している。
フェルナンド・ウッド(Fernando Wood, 1812-1881)
演:リー・ペイス
タマニー・ホールの長、民主党下院議員。
ペンシルバニア州に生まれるも、やがてニューヨーク市へ移って海運業者として成功し、ニューヨークを根城にする民主党の派閥「タマニー・ホール」の一員となる。同派閥の中で次第に頭角を現し、1854年、ニューヨーク市長に。ただしこのころ、タマニー・ホールといえば汚職、恫喝なんでもありの危険な政治集団と思われており、実際ウッドの市長選勝利は賄賂の賜物だった。ウッドの市政はニューヨーク市にさらなる腐敗と混乱をもたらし、1857年、同市内の共和党派は、ウッドの影響下にある市警察は事実上機能を停止しているとし、独自の警察組織を立ち上げると宣言。ウッドがこれを許すはずがなく、鎮圧のため警官隊を投入し大暴動となる。さすがにこの騒ぎでウッド市長は失脚し、ニューヨーク州選出の民主党下院議員として活躍の場を国政に移す。南北戦争勃発後のニューヨーク市は、北部に位置しながら親南部、反リンカーンに傾いていた。ニューヨークは南部で生産された綿花を欧州に輸出するための一大港湾基地で、内戦の勃発により南部との取り引きルートを閉ざされたニューヨークの商人たちは商売上がったりだったからだ。ウッドは下院において、このニューヨークの利益代弁者として縦横に活躍し、反共和党、反リンカーンの論陣を張る。終戦後は一時失職するものの、1881年の死去まで下院議員を続けた。
プレストン・ブレア(Francis Preston Blair, 1791-1876)
演:ハル・ホルブルック
ワシントンの陰なる王、ジャーナリスト。
南部バージニア州に生まれたブレアは、長じてジャーナリストとして名をなし、7代大統領アンドリュー・ジャクソンの政治顧問となることによって政界に隠然たる影響力を及ぼす男となった。ジャクソンは民主党員であったため、ブレアも人生の大半を民主党員として過ごしたが、米墨戦争の後に彼は民主党と決別する。メキシコに勝利し、南方方面に広大な新領土を獲得したことを見て南部の民主党員たちは、この土地に新たに奴隷制度を普及させていこうとした。しかしブレアは奴隷州に生まれ育ち、自身も奴隷を所有していながら、この制度は無秩序に拡大させていっていいものではないと信じていたのだ。ブレアは新たに結成された、奴隷制廃止を綱領の1つに掲げる党、共和党の支援者となった。しかし民主党へのコネクションも最大限に活用し、議員でもない身でありながら政界に無視できない力を発揮するフィクサーとなったのである。息子のモントゴメリーはリンカーン政権の郵政長官に、同じく息子のフランシス・ジュニアは北軍の将軍となった。南北戦争勃発直後には、リンカーンの特命によって、南部に投じようとしている後の南軍総司令官、ロバート・エドワード・リーの引き止め工作にも、失敗したとはいえ尽力。その邸宅だったワシントンの豪華な「ブレア・ハウス」は現在、大統領の賓客をもてなす迎賓館として使用されている。
(アメリカ南部連合国)
アレクサンダー・スティーブンス(Alexander Hamilton Stephens, 1812-1883)
演:ジャッキー・アール・ヘイリー
ジョージアの小さく暗い星(The Little Pale Star from Georgia)、アメリカ南部連合国副大統領。
ジョージア州の貧しい家庭に生まれながら、頭のよさでは誰にも負けなかった。弁護士の資格を取得してみるみる成功し、南北戦争前までには数千エーカーともいわれる広大な奴隷農園の主になっていた。南北戦争前にジョージア州選出の下院議員を務めていたが、彼は議場で出会ったリンカーンと、貧困の中から弁護士として成功した者同士、気の合う友となる。しかし2人の価値観はまったく違った。リンカーンは貧しい中からはい上がったからこそ、自由で平等な社会の実現を夢見た。スティーブンスは貧しい中からはい上がったゆえに、人間にははっきりとした能力の差、等級の差があると感じ、奴隷制を肯定した。南北戦争勃発後、彼は南部の奴隷制擁護派の中でも屈指の論客として南部連合の副大統領に推される。ただしスティーブンスの見た「南部政界の上流階級」たちは、親から受け継いだ財産の上にあぐらをかく無能者でしかなかった。スティーブンスとほかの南部の政治家たちとの間には争いが絶えず、彼は副大統領でありながらほとんど政治力を保持していなかった。南部敗戦後、一時北軍によって投獄。釈放後はジョージア州選出の上院議員や同州知事を務めた。
(軍人)
ユリシーズ・グラント(Ulysses Simpson Grant, 1822-1885)
演:ジャレッド・ハリス
無条件降伏要求のグラント("Unconditional Surrender" Grant)、合衆国陸軍総司令官。
オハイオ州に生まれ陸軍士官学校入学したが、そこで得たものは「自分は軍人に向いていない」という感想だけだった。卒業後、米墨戦争には従軍するが、その後は民間でさまざまな仕事を転々。しかしそのほとんどすべてで惨めな失敗を重ね、アルコール中毒の中年と化していた。祖国で起きた未曾有の内乱、南北戦争にはさすがに義侠心をかきたてられ北軍に志願。しかしここで、それまで隠れていた軍事的才能が一気に開花する。ほかの戦線では負け続きだった南北戦争前半期の北軍部隊の中で、グラント部隊は苦しみながらも地道な勝利を重ねていく。戦争初期における北軍苦戦の理由の1つは、高級軍人たちがリンカーンを「粗野な田舎者」と侮り、時にその命令をほとんど無視したりすることにあった。しかし謙虚で飾らない人柄だったグラントにそういうところはなかった。リンカーンによってグラントが合衆国陸軍総司令官に抜擢されるや、リンカーンの戦略構想と、その実行部隊としての軍という歯車はがっちりとかみ合い、北軍は大きく勝利に向かって前進していく。戦争終結後、リンカーン亡き共和党から「戦争の英雄」として祭り上げられ、大統領選挙に出馬させられる。大衆からの人気はすさまじく、簡単に当選して大統領を2期8年務めるが、グラントの政治センスはゼロであり、政界は混乱と腐敗を極める。「戦争の英雄」という呼び名はやがて「合衆国史上最低の大統領」に変わり、最後は詐欺にあって無一文で死去。ただし死の床で書き続けていた自伝が死後にベストセラーとなり、遺された家族は潤った。
(文責 事務局長 小川)