(Alexander Hamilton Stephens 1812-1883)
アレクサンダー・スティーブンスはアメリカ連合国の副大統領で、「奴隷制は神の認める絶対善である」とまで主張し、南北戦争を戦う南部の精神的支柱として活躍した大政治家でした。
しかし彼は、貧しい家に生まれ、自分の才覚で成り上がって奴隷農園主となり、南部ジョージア州を代表する政治家に成長していったという、世襲の大農園主が多かった一般の「南部貴族」とは少し違った経歴の持ち主でした。よって彼は、政治信条は違えども、ともに貧困階級から成り上がったリンカーンとは実に馬が合い、また南部の大統領、ジェファーソン・デービスとは、ほとんど犬猿の仲という人物でした。
南北戦争終結後、彼は北軍に逮捕され、約半年間、ボストンの監獄で生活を送ります。かれはその間、獄中記をしたためており、これは南部の政治家が戦後にどのような心境に至っていたのかを知る、一級の資料とも言われています。
本会ではこの投稿を皮切りに、その獄中記を少しづつ翻訳し、掲載していきたいと思っております。南北戦争史に関心のある皆様方に取り、何かの参考になれば幸いです。
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1865年5月11日(火)、ジョージア州リバティーホール
心地よい眠りの後、かなり早くに目が覚めた。とても清々しい朝だった。アセンズ郡から、ヘンリー・フル氏の子息、ロバートが訪ねて来ていて、昨夜からわが家に泊まっていた。
朝食の後、何人かに手紙を書いた。それからロバートとともに、トランプに興じていた。その時だった。奴隷のティムが部屋に駆け込んできて、こう叫んだのだ。
「旦那様! ヤンキーが来ます! もうたくさんの兵隊が町に侵入していて、軍馬の声や銃剣のガチャガチャする音が響き渡っています」
いずれこうなろうとは、うすうす感づいていた。 南部は負けたのだ。私はロバートに言った。
「彼らはすぐここに来る。私物を整理しておこう」
そう言い終わらないうちくらいに、私の眼は、わが家に近付いてくる北軍の将校をとらえた。家のドアは開いていた。将校はそのまま家に入ってきて、私に言った。
「スティーブンスか?」
そうだと返事をすると、さらに念を押された。
「アレキサンダー・ハミルトン・スティーブンスで間違いないな?」
それが私の名前である、と答えた。
将校が続けた。
「お前を逮捕するよう命令が出ている」
彼に名前を問うた。アトランタに駐屯するアップトン将軍配下の、アイオワ州第4騎兵連隊所属、セイント大尉で、ここにはネルソン将軍の指令で来ていると言う。彼は私に命令書を提示した。私とともにロバート・トゥームズ将軍も捕らえよとの内容だった。
セイント大尉の任務は、私をクローフォードビルまで護送することだという。それからどうするのか。ワシントンへか。アップトン将軍の司令部に連行されるのか。
こうなることはとっくに予想していた。自分から出頭すべきかともさえ思っていた。そうセイント大尉に告げ、私の“旅路”はどのようなものになるのだろうかと聞くと、私を護送するための列車を用意しているとのことだった。
私はティムを呼び、カバンに着替えを詰めて持ってきてほしいと頼んだ。
「分かりました」
そう答えたティムに、どれくらいの時間で用意できるか問う。「数分でやります」との即答があった。同じ奴隷のハリーもやってきて、非常に驚き、そして悲しんでいた。
セイント大尉から、希望するなら奴隷を1人帯同してもいいとの言葉があった。そこで彼に、私は最終的にどこへ連れて行かれるのか問うた。「最初はアトランタだが、最終的にはワシントンだろう」との答だった。ならばとアンソニーを呼んだ。彼はリッチモンド出身で、母親はまだ同地にいる。ワシントン方面にも詳しかった。すぐに出発の用意をするよう命じた。
セイント大尉は従卒とともに、朝食をとるため一時わが家を退去した。そのほっとした束の間に、私は兄弟のジョンとその家族のことを思い浮かべた。何の知らせもなく私が彼らの前から消えたら、彼らはどう思うだろうか。
セイント大尉は10時に戻ってきた。そして「15分以内に出発するぞ」と言う。友人や奴隷たちの口から嗚咽が漏れた。私の心も、涙であふれた。
私はセイント大尉に、兄弟へ手紙を書く許可を求めた。幸い、彼はそれを許してくれた。ジョンとその家族は、1週間ほど前に私を訪ねてきて、2日前に帰ったばかりだった。以下はその手紙の写しである。
親愛なる兄弟よ。
アイオワ州第4騎兵連隊のセイント大尉が、私を逮捕しにやってきた。トゥームズ将軍もともにだそうだ。アトランタを経て、おそらくワシントンへ連れて行かれる。
またお前に会える日が来るのかどうか、今はまったく分からない。だが、神はどんなことがあろうとお前を支えてくれるだろうし、また私自身も救ってくださるだろうと信じる。神の愛が、お前とその家族を救ってくださいますように。また私自身も、お前とコスビー、ディック、ジョンソン、およびすべての友人たちを常に思っている。
もうこれ以上書く時間がない。愛している。
お前の最も親愛なる者アレクサンダー・H・スティーブンス
この手紙を奴隷のリントンとハリーに預け、私が去ったら、すぐにスパルタのジョンへ送るよう命じた。
しかしセイント大尉はこの段になって、私が手紙を送ることに反対しだした。私は彼に手紙の文面を見せ、決しておかしなことを書いているのではないと証明したが、それでも彼の考えは変わらなかった。私は泣いてしまいそうだった。あて先が違っていたらどうだったろう。たとえば妹夫婦とか、友人たちとか。
護送列車の周りには、多くの人が集まっていた。皆、悲しそうな表情をしていた。嗚咽の声も聞こえた。
私が駅の待合室を出ると、列車は数百ヤードほど後退し、何人かの兵士が乗り込んだ。私が逃げ出さないように見張る役目を負っているらしい。私が列車に乗り込み、出発する段になると、その時の何人かは列車から降りた。列車ははそのまま、バーネット郡まで止まらずに走った。そこで汽車を取り替え、ワシントン郡へ向けて再び走り出した。
しかし4マイルほど走ると、列車のスピードが突然落ちた。列車の責任者は、われわれに下車するよう求めた。その地点のそばにあった小屋が急きょ接収され、私はそこに連れて行かれた。約20人の兵士が、私の監視要員として周囲を固めていた。
セイント大尉が「1時間ほどで戻る」と言い残し、どこかへと去った。しかし彼は日が暮れても戻らなかった。そして突然、豪雨になった。こんな雨は数週間ぶりだった。
小屋の主人が、肉のフライとコーン・ブレッドを出してくれた。「これができる精一杯で…」と彼は言った。私は空腹ではなかったのだが、その心遣いが非常にうれしく、ありがたくいただいた。
夜になっても大尉は戻らなかった。主人は今度は夜食を出してくれた。彼の夫人も非常に優しい人で、私は彼らの心遣いに本当に申し訳なくなった。
深夜と言える時間になって、汽車の蒸気機関が再びけたたましい音を立てるのが聞こえた。セイント大尉の「外出」が奏功したのだろうと私は思った。
大尉が私の前に戻ってきたので、いったい何か起こっていたのかと問うたが、彼はまともに答えようとせず、私に再び列車へ乗るよう命じた。アンソニーも、再び荷物番だけに専念できるようになった。ただ雨のおかげで大地は濡れそぼっており、私の靴もぐっしょりと湿っていた。雨は冷気を運んできて、私はノドをやられ、ひどいしわがれ声しか出なくなってしまった。
電車は一度バーネット郡まで戻るようだった。セイント大尉に、トゥームズ将軍とはもう会ったのかと問うたが、「そんなわけないだろう」と、実にぶっきらぼうに返された。その態度は非常に無礼なものに感じられ、私はそれ以上、彼と話をする気をなくした。
バーネット郡に着いたのは11時だった。そしてすぐにまた出発しなおし、夜通しかけてアトランタを目指すという。小休止のため列車を降りると、何枚かの列車の窓ガラスが割れているのが目に入った。ぐっと冷え込んでいた夜だったが、心まで寒くなった。
(翻訳 正会員・小川寛大)
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